太陽光をレンズで集める

郷津晴彦 


 海岸で拾った流木に、その場で焦げ目を付ける。どうやって焦がすかというと、太陽光線を虫眼鏡で集め、焦点を合わせて焦がす。黒く見える線がそれである。
 誰でも子供の頃やったと思う。理科の実験。白い紙と黒い紙。まぶしいよう、先生全然だめです、今度は黒い紙でやってごらん、あ! けむが出た! 燃えてる燃えてる! どうしてかなあ、黒い色は光を吸収するので……。
 私は小学校に上がる前、四歳か五歳の頃からやっていた。幼稚園へ行かなかった私はずっと家にいて、一人で遊んだり退屈したりしていた。母は煙草を吸った。赤いパッケージに、白く細いAの文字が三つ並んだ「スリーエース」だった。 「いこい」の時もあった。こちらは茶色っぽい包みに四分休符が印刷されていた。両方とも、もうとっくに姿を消して今は売られていない昔の煙草だ。母が煙草を吸おうとすると、あ、待って、火付けさせて、と煙草を一本受け取り、南側の窓辺に行くのだった。そうして左手に煙草、右手に虫眼鏡を持つ。丸い光が、できるだけ小さく小さく焦点を結ぶように、レンズの角度と煙草までの距離を調節する。煙草の葉の茶色が、明るく眩しく、ほとんど白くなったところで、そのままそのまま、じっと我慢していると、煙草の端が焦げて煙が出てくる。くすぶった煙草を急いで母に渡す。母がスパスパスパスパと吸うと、ちゃんと火が点くのであった。満足の時である。
 少年はいずれ大人になる。私も大人になる途中に芸術などをやりながら、大人になった。大人になりかかりの、美校の学生だった頃、虫に興味を持った。虫が這った跡の線に象徴される、人間の意志の介入しない造形に興味を持ったのだ。恩師三木成夫の影響である。なんとか虫に近づこうと、様々な表現を試みるも、どれもうまく行かなかった。ある時、虫眼鏡で葉っぱを観察していたついでに、ふと太陽で焦がしてみようとして、あ、これはいけるかもしれない、と思った。虫眼鏡で焦点を合わせると、必然的に近視眼的になるし、線もゆっくりとしか引けない。虫になるのには好都合に思われた。以来、紙、板、いろんなものを焦がすようになるのだが、どれも謂わばトレーニングのようなもので、作品にはなり切らなかったようである。
 流木と虫眼鏡との出会いは、ずっと後のことである。
   (「ニュージーランドに降りた神」につづく)


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