自然の内と外
−郷津晴彦の芸術と生命記憶の世界(断章)−

石黒敦彦 

 20世紀初頭の写真芸術の勃興期を代表する写真家の1人、カール・ブロッスフェルト(1865-1932)は、採集した植物を接写することで、自然の中にある美的、幾何学的な秩序を浮かびあがらせようとした。彼の早い晩年に出版された写真集のタイトル『芸術の根源的なかたち』(1928)『自然の驚異の庭』(1932)は、その発見の昂揚と自負を物語っている。
 その題名にも現れている、自然に「芸術の原型」を見る、という強い衝動は、19世紀末の進化論者エルンスト・ヘッケルの海洋微生物を主にした標本石版画集『自然の芸術的なかたち』として、近代ヨーロッパに現れた。ブロッスフェルトも影響を受けたこの考え方は、近代芸術にある種の極性を与えることになる。自然の形象の中に、近代芸術やデザインの「原型」がすでに告知されているという主張は、共感とともに強い反発も呼び、それは現代までも引き継がれている。それは皮肉にも、非西欧圏の現代の芸術家たちにさえも、内的な緊張と葛藤をもたらす場合もある。

 このような、近代芸術の自然認識の葛藤とわが郷津晴彦の仕事が、どのように関わるのだろうか?
 上記のブロッスフェルトの植物写真は、なぜかみないかにも標本らしい白い背景を持ち、照明によって彫刻的ともいえる輪郭を際立たせている。その写真からは、ブロッスフェルト本人の思惑とは別に、「自然を標本化したい」という強烈な意志を感じ取ることができる。それはあまりにも美しくデザインされたヘッケルの微生物の博物画にもあてはまる。こうした抜きがたい性向について考えていたとき、ふと、郷津のある言葉が思い浮かんだのである。
 彼の初期の作品であり、東京芸大での恩師・三木成夫(1925-1987)の解剖学の思想を色濃く反映している鋳像『泰治君の夢』(1983)について、いつか彼は、作品の写真を前にして、私に次のように語った。
 「この像は、できることならば、展示会場ではなく、写真のように自然の中に置いておきたい」
 この言葉とともに、緑陰の中に置かれた『泰治君』の鋳像の写真を見るとき、ブロッスフェルトとの大きな隔たりに、愕然とするにちがいない。
 この作品にインスピレーションを与えたのが、彼が三木成夫に許されて、在学中に人間の胎児の標本の解剖学的スケッチに従事した経験であることを知れば、なおさらのことである。今日、そのスケッチを、われわれは三木成夫『胎児の世界』(中公新書)の図版として見ることができる。
 郷津自身の言葉を聞こう。
 「初期の鋳造作品。ヒトの胎児そのものではありません。発生のいろんな段階を混ぜてあります。頭髪もあるし、浴衣も着せてあります。こめられているのは、あくまでも胎児の『おもかげ』です。(中略)いま思えば、恩師故三木成夫先生の研究室で、双眼顕微鏡の先の胎児の標本をスケッチした日々から、これを作っている間は何かに憑かれたようでした。何かが私の中をとおり抜けていったあとに残ったのが、この作品であるような気がしています。」(『彫刻「泰治君の夢」について』より。以下、引用は同じ)

 自然を標本化したい!という“死せる自然”(日本では「静物画」と訳されている)の欲望が一方にある。それは、実験室、アトリエやシャーレの均質化された空間に自然の断片を配置するだろう。
 もう一方に、「母親の胎内で、生命の『進化』の歴史をおさらいしている」ままに時の歩みを止めた標本からさえも自然の「おもかげ」を彫琢する、郷津晴彦の仕事を置いてみよう。
 この対比は、郷津のその後の仕事にも、折に触れて顔をのぞかせる。彼が、最も親しい素材として発見し、制作の来歴も20数年におよぶ「流木」は、この対比をよく現している。浜辺の流木を選び、その表面にレンズで焦げ跡の線を刻んでいく。この技法は郷津の独創ではない。しかしほかの作家が、集光された太陽光線を絵筆のように使って、シンボル、記号や描線を刻印していくのに対して、彼の作業は、流木の乾燥し漂白された肌理を舐めるようにたどりながら、その植物の成長の歴史をおさらいしている、かのようである。その結果、(奇妙な比喩だが)樹木を通過していった落雷の焦げ跡のように自然なラインが、流木の表面に現れてくる。まさしく、彼の個展のタイトルにもなっている「たちあらわれるかたち」そのままに。

 かつて、こうした郷津の流木の仕事にふと円空仏のイメージを重ねてみたことがある。しかしその実験仮説は、円空仏に、時によって見られる、木目の流れをぶつりと断ち切るような一刀彫の強烈なリズムとタクト(!)。そしてそれを支えている、事物の深奥にさえ仏性の刻印を見ずにはおかない意志の強さが、かえって前面に出てくるだけの結果に終わった。そこに「たちあらわれる」のは仏であり、自然のかたちではなかったのだ。
 この作品系列によって郷津が立った場所、それは自然の内と外であり、海と浜で広げられる生命のドラマであり、意図とインプロヴィゼーションの閃きであり、そうしたすべての境界である。
 その境界で、彼は流木のかたちに耳をすましている。漂着物でも標本でもない、波によって漂白された、生命の記憶に耳をすましている。そして音の粒のように、流木からかたちがたちあらわれてくる。(未定稿)

長大になるので、この文章では触れえなかった三木成夫の思想と郷津晴彦の芸術の「関わり方」については、稿を新たにしてチャレンジする所存である。

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