ゴーツ氏の作品に寄せて

鳥居信景 

天空に真夏の太陽。拾った流木と、例の虫眼鏡。 これだけでゴーツ氏は作品を作る。

流木が、かつて何であったかは問題ではない。海水の塩分、波や岩や砂。雨、風、あらゆる気象。獣や鳥、魚、菌類バクテリア。摩滅して、晒されて、どのみち跡形もなく消滅するものだ。

流木を拾い上げるゴーツ氏。その確率がどれほどのものか見当もつかないが、氏は手に取って仔細に観察する。もつれ合いせめぎ合うこれらの流れ。よじれて節くれだったこれらの形状。干涸びて、擦り切れ、引きちぎられたこれらの宇宙。

溶接工みたいなメガネをかけたゴーツ氏。あの恒星の光をレンズで集め、木肌の流れに沿って、あるいは逆らって、ジリジリと焼いて行く。このときもはや、氏はレンズそのものである。
やがて幾筋もの焦げ目によって、流木は名前のない何ものかへと変異する。彼方から降り注ぐものを、自らの存在を通して対象に投影する、という仕事。

生物の標本のように箱に入れられ、あるいは台座をしつらえられて、ともあれゴーツ氏の作品は人を魅了する。
さらにゴーツ氏の制作方法を知ることで、人は思い知らされるのだ。これは「表現の構造」そのものだということを。

もちろん、趣味のいい邸宅の飾り棚に置くのもいいだろう。気に入れば、鞄の中に入れ、持ち歩くのもいいだろう。
だがしかし、ゴーツ氏には内緒だが、どこかの砂浜にそっと還してくる、というのは如何だろう。そんな衝動を私は抑え切れない。

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